かつて、この住居はその所有者にとって、心地よい場所であった。下仁田から小諸方面へ軽井沢町を横断する通りから、追分の国有林に向かって坂を登るそこに、緑に囲まれた静かな一軒家はあった。
目覚めると、小鳥たちの囀りが耳に響く。子どもたちを学校へ送り出した後、近所で働き、夕暮れ時には家族で食事を楽しむ。しかし子どもたちが巣立ちしばらくたつと、若かった時は無関心だったことが、いつしか気になるようになってきた。山での暮らしは少なくない光熱費を必要としていた。そして何よりも、冬の寒さが身に染みる。ついには手放す決断をし、家は解体される日を待つことになった。
その売土地を購入した新たなオーナーは(家はまだ残っていたが、不動産会社の見立てでは価値は無いものとして、土地として売買され買い手がつき次第解体するとされていた)いくらか変わった人間だった。この住居を解体せず、光熱費や冬の寒さに悩まされることの無い賃貸住宅に再生したいという。まだ見たことのないような仕事に積極的に取り組む業者はいなかったが、オーナーが信頼する建設会社が可能性調査のため訪れることになり、社内の若き設計士が指名された。
数週間後に彼女が提案した案は、まるで宇宙から飛来したような異質なアイデアであった。A案は、リビングとダイニングを隔てる壁を取り払い、現代的な広いLDKを作るものだ。きわめて想像しやすく、オーナーが設計者を案内した際に話したのもそのような内容だった。しかしB案は、この建物の2階中央部分を撤去し、吹き抜けを作るものであった。ただでさえ小さな家なのに、費用をかけて面積を減らすそれは、慣れ親しんだ賃貸像を根本的に変えるものであり、その先にある未知の領域への転換を象徴していた。
彼は、通常なら躊躇するだろう案に喜びを感じ、実現しようと決意した。そこには、先進的な視点があり、それが再生可能な未来を切り拓く力となることを信じていた。
かくして、建物はその本質を剥き出しにしていった。外からは空っぽに見えるかもしれないが、そこには再生する可能性を秘めた原型が存在している。